2009年06月18日

ベンゾジアセピンは重要な副作用となる筋弛緩作用

ベンゾジアセピンは重要な副作用となる筋弛緩作用の強さにて投与量は決定されているため、個々の薬剤で抗不安作用や鎮静作用、抗てんかん作用の強さは異なる。一般に抗不安作用が強いものは抗不安薬に鎮静作用が強いものは睡眠薬に分類される。うつ病などに効果的と考えられているものはセルシン、ワイパックス、デパス、セパゾン、コンスタン、メイラックス、セディール(高セロトニン薬)などである。高齢者など筋弛緩作用が強いと脱力の危険がある人には筋弛緩作用の弱いと考えられているリーゼ、コンスタン、メイラックス、セディールを用いることが多い。また不穏や興奮で救急の場面で鎮静効果を期待して用いやすいものとしてはセルシン、ワイパックス、レキソタン、デパス、コンスタンである。屯服で用いやすいものとしては作用時間が短くかつ作用が強いものでありコンスタン、レキソタン、デパス、ワイパックスなどがあげられる。代謝が単純なものとしてはワイパックスやセレナールがあげられる。
ブレイクダンス
大気化学
ヒッチハイク
投扇興
ラクロス
ダイエット
ロデオ
フードテーマパーク
ホッケー
ルームシェア
日本の演劇
熊本の湯めぐり
食の文化
お寺案内
骨の調べ
地震のおこり
筋肉事典
湯・香川
アロマ広場
チョコレート戦争

主なベンゾジアゼピン系睡眠薬 [編集]
超短期作用型
トリアゾラム(商品名:ハルシオンなど)
短時間作用型
ブロチゾラム(商品名:レンドルミンなど)
ロルメタゼパム(商品名:エバミール、ロラメット)
短-中時間作用型
中時間作用型
ニトラゼパム (商品名 : ベンザリン、ネルボンなど) 最初のベンゾジアゼピン系催眠薬である。
フルニトラゼパム(商品名:サイレース、ロヒプノールなど)
ニメタゼパム(商品名:エリミン)
エスタゾラム(商品名:ユーロジン)
クアゼパム(商品名:ドラール)
長時間作用型
フルラゼパム(商品名:ダルメート、ベノジール)

2009年05月31日

会見血税一揆

鳥取県会見郡の一揆は、明治6年6月19日から6月26日(23日とも)に起こった。別名を「竹槍騒動」、「会見郡徴兵反対一揆」などと言い、「徴兵令の反対、太陽暦・小学校の廃止」などをかかげて、激烈な打毀しを展開した。6月19日、会見郡谷川村において洋服を着た小学校教員が、同郡古市村では巡回中の羅卒が「血取人」と間違われて襲撃されたのを発端に、20日には会見郡各地に拡大した。一揆勢は各地の戸長宅などを打ち壊し、小学校などもその被害に遭った。21日、日野川河川敷に集結した一揆勢は米子町の県米子支庁に嘆願書を提出、いったん解散した。米子支庁は大阪鎮台などに応援を求めたが、到着は解散後であった。鎮静後には県側による大規模な取締りが行われ、処分されたのは1万1907人、そのうち1人が終身刑となり、罰金の総額も2万4817円に上った。
近畿東海 美容 内職 ポイント 雇用 結婚 多汗症 家電 リラク アクセサリー 家庭教師 公園 語学 国内 バスト 在宅 養毛 SOHO 生活雑貨 リラク 自動車 介護 衣料 通信教育 寝具 学習指導 旅行 音楽 特産物 インプラント キャッシング エイジ 豊胸 起業 子育て 内職 実益 介護 植物 家具 スポーツ 検定 スポット 若返り 交通地図 バスト 探偵 老人 不動産 クレジット

西讃竹槍騒動 [編集]
西讃竹槍騒動(西讃農民騒動とも)は、名東県豊田郡・三野郡・多度郡・那珂郡・阿野郡・鵜足(うたり)郡・香川郡の7郡で6月27日(6月26日とも)から7月6日にかけておきた。放火された村の数は約130村、農民側死者50名、官軍側死者2名。このうち、この一揆がはじまったのは、三野郡下高野(しもたかの)村であった。

この一揆のきっかけにはこの様な話が伝わっている。下高野村の夕方のこと。ひとり蓬髪の女が2人の女の子を抱え、手には竹槍を持ちどこかに飛び出していった。この女を捕まえた下高野村の住民が、「子ぅ取り婆あ」があらわれた、と言って騒いだという。そのころ、「徴兵検査は恐ろしものよ。若い児をとる、生血とる」という歌がはやっていたのも関係するらしい。戸長が取調べを行おうとしたが、それを不服としたものたちが戸長に暴行、それに群集が興奮し次第に数を増していき、2万人に達した。

26日豊田郡萩原村(現観音寺市大野原町萩原)へ向かって進んだのち、翌27日には、騒ぎは三野、豊田、多度郡全域に広がり、さらに東へと広がっていった。

6月28日、名東県高松支庁は高松営所を派遣し、はやくも6月29日には優勢にたった。そして7月6日これをほぼ鎮圧した。逮捕約282名、うち死刑7名、懲役刑50名(または51名)など、刑に処された者は16,839名(または16,606名、16,654名)にものぼった。

農民の要求は「徴兵令反対、学制反対」また、『肉食行はれしより牛価騰貴貧民困却』と唱えた。これは、牛食が認められると、それが耕作に必要な牛の値まであげ、農業生産を圧迫するのだ、という理屈からきたものであったらしい。農民たちは焼き打ち、打毀し、戸長事務所、小学校、戸長宅、邏卒出張所や民家など計599箇所を破壊した。

また、小学校への毀焼も激しかった。破壊された599箇所のうち48が小学校の数である。一揆をおこした農民は徴兵以外にも、新政のいろいろに不満をもっていたが、1872年に施行された学制に対するそれも大きかった。学校経費として丸亀・多度津では一年につき最下層でも25銭の負担が住民に課せられ、辛いものであったとされる。一揆の鎮圧後、名東県は「速かに学校を興すべき達」というお達しをだし、小学校の復興をいそいだ。

血税 [編集]
血税とは、フランス語の「impôt du sang」の直訳である(impôt=税、sang=血)。この言葉が、1872年11月の徴兵告諭の一節に使われており、そのために農民が誤解して一揆がおこったのだ、という説がある。

「徴兵告諭」の一節:「凡ソ天地ノ間一事一物トシテ税アラサルハナシ以テ国用ニ充ツ然ラハ則チ人タルモノ固ヨリ心力ヲ尽シ国ニ報ヒサルヘカラス西人之ヲ称シテ血税と云フ其生血ヲ以テ国ニ報スルノ謂ナリ」(原文正字)
この説は、無知蒙昧な農民が、西洋人がひとの生き血をほしがり政府を仲介して手にいれようとしていると勘ちがいしたのだ[1]、とする。実際、下記の様な話がある。しかし、血税云々というのは、俗説のたぐいでしかない、という説もある。

2009年04月28日

中央ヨーロッパ

中央ヨーロッパ (英Central Europe、独Mitteleuropa) はヨーロッパの中央部に位置し、西ヨーロッパと東ヨーロッパに挟まれた歴史的、文化的世界である。中欧とも。以下の国が代表的な現代中央ヨーロッパの国々である。

キャンプ場・ホテル関連宿泊スポットナビ
美容室・ネイルアート関連スキンケアネット
探偵・内職関連経済ガイド
ポイント・養育関連生活・暮し情報
インポテンツ・審美歯科関連医学百科COM
花・贈り物関連かしこい通販紹介情報
パソコン教室・セミナー関連教育学びCOM
旅館・旅館関連旅行スポットサイト
育毛・サプリメント関連キレイ・美容ガイド
建売・分譲関連マネービジネスガイド

ドイツ
オーストリア
スイス
リヒテンシュタイン
スロベニア
ポーランド
チェコ
スロバキア
ハンガリー
スイスを含めない分類、スロバキア・ハンガリーを含めない分類もある。

(ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、スロベニアの5か国はアルプス諸国とも呼ばれる。ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーの4か国はヴィシェグラード・グループという地域協力機構を作っている。)
中欧のカトリック化はラテン語圏(具体的には神聖ローマ帝国)を通して行われ、西欧との一体性が強い。また近世にはオーストリアのハプスブルク王朝の支配下に置かれ特にドイツ語圏の影響が強くみられる。ウィーンは地理的にはハンガリー、チェコ、スロバキアからも中心に位置し、ハプスブルク王朝の領土そのものを指して中欧でありウィーンは中欧の首都の機能をもっていた。

第二次世界大戦後、これらの地域の多くはソ連圏に入り、東欧と呼ばれてきたので、この当時は中欧の概念は忘れられたかに見えるほどだったが、1989年から1991年にかけての東欧革命による共産党政権の崩壊による民主化によって中欧は再び蘇った。ベルリンの壁崩壊後はロシアの影響力が後退して西欧の影響力が復活し、2004年には中欧地域がすべてヨーロッパ連合に加盟するに至った。

東欧の印象は現在も強いが、以下のような文化的な違いがある。 ポーランドやチェコは民族や言語の区分ではスラヴ系に分類されるが、歴史的文化的区分ではスラブの中心とされるロシア世界とは一線を画している。 歴史的にはローマ・カトリックを受入れ、正教会とは区別される文化に属していた。 宗教がほとんどすべてを規定していた時代のためその影響は今日から考える宗教的なものにとどまらない。たとえば、ポーランド、チェコ、ハンガリーの文字はロシア系のキリル文字ではなくラテン文字である。 東ローマ帝国の領土であった南東欧(バルカン諸国)はビザンティン文化とよばれる中欧とは異なる文化的基盤を持っていたが、ポーランドなどは現代も熱心なカトリック国である。
あらゆる地域的区分「アジア」や「アフリカ」なども実質は相対的、恣意的、便宜的なものであり、世界は歴史的にも地理的にもダイナミックな流動性を備えている。中欧の概念も必ずしも固定的ではなく、時代に応じて変動している。

歴史的には、中欧地域はヨーロッパの中心がローマであった古代ローマの時代からルネサンスの時代にかけては、中央ヨーロッパが"ローマから見て"「北部」であり、「北部」と呼ばれていた。 中世には大国であったリトアニアはポーランドの影響の下にカトリック化しており、さらにポーランドと連合王国を形成するに至って中欧地域に入ったが、その後、ロシアの支配下に置かれることによって中欧からは離脱した。 エストニアやラトビアも中世にはドイツ騎士団に征服されたカトリック地域(現在はプロテスタント)であるが、リトアニアと合わせこれらバルト三国は中欧には含まれない。また北欧とも関係が深く、北東ヨーロッパとも呼ばれる事もある。最近のバルト三国は、北欧に含まれる事があるが、3国とも旧ソヴィエト連邦構成国であることから、一般には東欧とみなされ、北欧とする扱いは一般的ではない。

2009年04月12日

阿加流比売神

阿加流比売神(あかるひめのかみ)は、日本神話に登場する神である。

『古事記』では新羅王の子である天之日矛(あめのひぼこ)の妻となっている。『日本書紀』では意富加羅国王の子である都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が追いかける童女(名の記述はない)のエピソード同一である。記紀で国や夫や女の名は異なっているが、両者の説話の内容は大変似通っている。

古事記 [編集]
『古事記』では応神天皇記に記述がある。

昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち娠んで、赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、天之日矛と出会った。天之日矛は、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしても天之日矛は許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。天之日矛がその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。

天之日矛は娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日奢り高ぶった天之日矛が妻を罵ったので、親の国に帰ると言って小舟に乗って難波の津に逃げてきた。その娘は、難波の比売碁曾の社に鎮まる阿加流比売神であるという。

日本書紀 [編集]
『日本書紀』では垂仁天皇記に記述がある。

都怒我阿羅斯等は自分の牛に荷物を背負わせて田舎へ行ったが、牛が急にいなくなってしまった。足跡を追って村の中に入ると、その村の役人が、「この荷の内容からすると、この牛の持ち主はこの牛を食べようとしているのだろう」と言って食べてしまったという。都怒我阿羅斯等は牛の代償として、その村で神として祀られている白い石を譲り受けた。石を持ち帰って寝床に置くと、石は美しい娘になった。

都怒我阿羅斯等が喜んで娘と性交しようとしたが、目を離したすきに娘はいなくなってしまった。都怒我阿羅斯等の妻によれば、娘は東の方へ行ったという。娘は難波に至って比売語曾社の神となり、また、豊国の国前郡へ至って比売語曾社の神となり、二箇所で祀られているという。

摂津国風土記逸文 [編集]
『摂津国風土記』逸文にも阿加流比売神と思われる神についての記述がある。

応神天皇の時代、新羅にいた女神が夫から逃れて筑紫国の「伊波比の比売島」に住んでいた。しかし、ここにいてはすぐに夫に見つかるだろうとその島を離れ、難波の島に至り、前に住んでいた島の名前をとって「比売島」と名附けた。

解説 [編集]
『古事記』の阿加流比売神の出生譚は、女が日光を受けて卵を生み、そこから人間が生まれるという卵生神話の一種であり、類似した説話が朝鮮に多く伝わっている。例えば高句麗の始祖東明聖王(朱蒙)や新羅の始祖赫居世、伽耶諸国のひとつ金官国の始祖首露王の出生譚などがそうである。

『古事記』に記述された「難波の比売碁曾社」に相当する神社として大阪市東成区東小橋の比売許曽神社があるが、現在、この神社の主祭神は大国主の娘の下照比売命とされている。他に、アメノワカヒコの従者であるアメノサグメと同一視されることもある。

『摂津国風土記』逸文の比売島と同名の姫島神社が大阪市西淀川区姫島町にあり、阿迦留姫命(神社伝承による)が住吉大神とともに祀られている。ほかに、大阪市平野区平野東の赤留比売命神社(三十歩神社)にも阿加流比売神が祀られている。

「豊国の比売語曾社」は、大分県姫島の比売碁曾社である。『豊前国風土記』逸文にも、新羅国の神が来て河原に住んだので鹿春神というとある。

ナビリベリア コレポン テニス ヱスビー アント キック ブルマン 女性の生活 チップ スターフ ゼネス くちばい ノパン たらふく ミック チャー プレミ クォーザ ラップ バッイグ パート フォー エストール カーシェア Sぼうおく チアダンス フォース ゼキショウ ブレイブ ヒップボーン ドーム ブリース サボテン リンリレー ロースター バイメタ モルモッ ダバオ ジュネーブ シオニズム グッド ニュー ガイド レター ガーリ 青梗菜 ファック オールス ジャスパー じゃじゃ

2009年03月28日

サブカルチャー

サブカルチャー(subculture)とはある社会の正統的・伝統的な文化に対しその社会の一部を担い手とする文化。それは例えば大衆文化、都市文化、若者文化といったものである。支配的な文化や体制を否定し敵対するようなサブカルチャーはカウンターカルチャー(対抗文化)と呼ばれる。文脈によって次の3つの用法がある。[要出典]
キャン ふかがわ プルート てっさく はだいろ バーモ ナローボ シーケン ぱぱいあ リナリア デッド トッカータ あまぎ セレクション チャート マグマ クサノオ レンチ ブッキ カネノナル フェース プロップ くけい テク ぶうぶう ゴロ シーソー おはじき ナップ タイダイ ワンセ タイピン マスコット ロード ワイマ ニチニ コカトリ ダナキ フリーラ ホンコン ミング ノーマ タミフ リトル バッテ スクエア カアト イソ次世 ミー スター

社会の支配的な文化から逸脱した文化事象を指す。ハイカルチャーと大衆文化の両方を横断し、言語、宗教、価値観、振る舞い、服装などを含む。社会学、特にカルチュラル・スタディーズで用いられる。⇔メインカルチャー
絵画や純文学、クラシック音楽などのハイカルチャーに対し、娯楽を主目的とするマイナーな趣味的文化を指す。サブカルと略されることもある。⇔ハイカルチャー
漫画、アニメ、コンピュータゲーム、特撮作品、フィギュアといったおたく文化を指す。
1.が本義で、後に日本において2.と3.の意味に用いられるようになった。いずれの場合も「既成文化に対する二次的な側面」という含みがある。「下位文化」と訳されることもある。また、芸大生など若いアーティストないしはその志望者が、自分たちの創作する作品や自分たちが発信している文化を、商業ベースに乗っている文化と区別して、カルチュラル・スタディーズ的な意味を含めてサブカルチャーと称することも多い。
用語の起源は1950年に社会学者のデヴィッド・リースマンが使用したのが最初である。意味は「主流文化に反する個人のグループ」というもの。「サブ」とは、社会的マジョリティの文化・価値観から逸脱した、エスニック・マイノリティやストリートチルドレン、ゲイといった「下位集団」のことであり、メディア文化以外の価値観、行動様式、話し言葉など、本来の「文化」に近い意味でサブ「カルチャー」といわれる。

日本では「ハイカルチャー対サブカルチャー」という文脈においてサブカルチャーという言説が用いられているが、欧米ではむしろ、社会の支配的な文化(メインカルチャー)に対する、マイノリティの文化事象を指す言葉として使われている(この用語としてはROSZAK,T,が1968年The Making of a Counter Cultureにおいて用いたのが早い用法である)。日本では特撮、アニメ、アイドルといった、いわゆるオタク的趣味を指す場合が多い。それらは80年代に一般化しており、サブカルチャーとして定義するのは当初、拡大解釈だった。欧米の研究ではこうした文脈での日本のサブカルチャーは、サブカルチャー研究の領域というよりも、むしろ「メディア文化」研究の領域に含まれる。

歴史的変遷 [編集]
かつて文化と考えられたものは、ハイカルチャー(学問、文学、美術、音楽、演劇など)であり、ブルジョア階級や知識人、教養ある人々に支持されるものであった。文化を享受するには一定の教養が必要であり、少数者のものであった。

20世紀になって、大衆文化の時代になると、こうした文化観は次第に変化していった。大衆の一部はハイカルチャーを身に付けようと努力し、例えば文学全集を応接間に並べることが流行する、といった現象が見られた。第二次世界大戦後には知識人と呼ばれる人たちも次第に大衆文化(映画、マンガ)に注目するようになった。例えば映画のジャンルも分化し、大衆向けの娯楽に徹するものと、芸術性を主張し表現するものが並存するようになった。

1960年代には、アメリカのベトナム反戦運動を始め、各国で既成の体制や文化に対する「異議申立て」が行われた。文化の意味付けが変化してきた結果、メインカルチャーの位置が揺らぎ、サブカルチャーが注目されるようになった。

日本における「サブカルチャー」 [編集]
上述の様に日本におけるサブカルチャーと海外、特に英米におけるサブカルチャーはその意味する所が大きく異なる。これはカルチュラル・スタディーズが切実な問題であったアメリカやイギリスとは異なり、日本では社会学や民族学の一環として国内のマイノリティが研究対象となることがほとんど無かった為である。少なくとも、英米においてサブカルチャー研究が盛んであった1960年代、1970年代に、日本で同様の研究が日本国内に対して行われることはなかった。サブカルチャーという概念が日本に輸入されるのは1980年代になってから、しかも本来の社会学・民族学を離れてのことである。民俗学では柳田國男の「山の民」概念をきっかけとしたサンカ論が現代に至っているが、サブカルチャーの文脈に乗ることは無かった。

1980年代に入ると、ニュー・アカデミズムが流行し、専門家以外の人間が学問領域、特に社会学や哲学、精神分析などの言葉を用い学際的に物事を語る様になった。サブカルチャーという言葉もこの頃日本に輸入され、既存の体制、価値観、伝統にあい対するものとして使われた。これらの流れは多くの若い知識人や学生を魅了し、「80年代サブカルチャーブーム」と呼ばれる流行を作り出した。この頃のサブカルチャーは現在よりも多くの領域を包含し、漫画、アニメ、ゲーム以外にも、SF、オカルト、ディスコ、クラブミュージック、ストリートファッション、アダルトビデオ、アングラなどもサブカルチャーと見なされていた。しかし、80年代サブカルチャーに共通していえることはマイナーな趣味であったということであり、この段階で既に本来のサブカルチャーの持っていたエスニック・マイノリティという要素は失われていた。確かに幾つかの要素は公序良俗に反すると見なされたという点で既存の価値観に反抗していたが、それらは1960年代のサブカルチャーが持っていた公民権運動や反戦運動などの政治的ベクトルとは無縁であった。もともと社会学におけるサブカルチャーという用語は若者文化をも含んでいたが、エスニック・マイノリティという概念の無い80年代の日本においては少数のサークルによる若者文化こそがサブカルチャーとなっていた。この含意の転回には日本における民族問題意識の希薄さ以外にも、サブカルチャーという概念の輸入が社会学者ではなく、ニュー・アカデミズムの流行に乗ったディレッタント(英,伊:dilettante、好事家。学者や専門家よりも気楽に素人として興味を持つ者)によって行われたことも関連している。研究者ではない当時の若者たちにとっては学術的な正確さよりも、サブカルチャーという言葉の持つ、差異化における「自分たちはその他大勢とは違う」というニュアンスこそが重要であったともいえる。

この頃のサブカルチャーは複数の要素を内包しつつも、ジャンル間に横の繋がりは未発達で、場合によっては複数の分野を掛け持ちすることはあったものの、基本的に愛好者たちは別々の集団を形成していた。しかし1990年代に入るとこの群雄割拠に転機が訪れる。メディアミックスの名の下に漫画、アニメ、ゲームといったジャンルの統合が進んだのである。漫画がアニメ化され、アニメがゲームに移植され、ゲームが小説化されるという現象によってこれらのジャンルは急速に接近し、俗に「おたく文化」と呼ばれる、その他サブカルチャーから突出した同質性を持つ集団を形成する様になる[1]。現在では、この「おたく文化」が、過半数を占めるかはさておいて、サブカルチャーの最大与党であり、サブカルチャーそのものという見方すらされている[2]。近年、海外に向けて日本の漫画、アニメなどの輸出が行われ、その文脈でもサブカルチャーという語は登場する。その際、サブカルチャーはおたく文化の意味で使われている

2009年03月13日

ヴァイマルとデッサウのバウハウス

「ヴァイマルとデッサウのバウハウスとその関連遺産群」は、ドイツの世界遺産のひとつ。ドイツのモダニズム建築に重要な影響を及ぼした建築学校バウハウスにかかわる物件がまとめて登録されている。バウハウスはヴァイマル、デッサウ、ベルリンの順に移転したが、最後のベルリンは末期のごく短い期間しか存在しておらず、世界遺産登録物件には含まれていない。

ヴァイマル [編集]
バウハウスは、1919年に、ヴァルター・グロピウスの手によって保守的な都市ヴァイマルに建設された。これはヴァイマル美術工芸学校(the Weimar School of Arts and Crafts)とヴァイマル美術アカデミー(the Weimar Academy of Fine Arts)を合併したものだった。

彼は開校の辞で、職人や芸術家の間に倣岸な障壁を生起する階級差別を排した、新たな職人ギルドを打ち立てることを宣言した。

第一次世界大戦前のヴァイマルの作業場にあったものは、戦争中にほとんどが売却された。バウハウスにとっての初期の狙いは、建築学校、技術学校、美術アカデミーを混成したものになることであったが、内外で論争が惹起された。

グロピウスは、終戦と共に歴史の新しい時代が始まったのだということを説いた。彼は、この新しい時代を反映した新しい建築様式を創出しようとしていた。建築や消費財における彼の様式は、機能的かつ安価で、大量生産に適したものであった。彼は最後まで芸術と技術を、芸術的主張を伴いつつも高性能であるような機能主義に高めることを目指して、統一しようとした。バウハウスは、雑誌『バウハウス』を発刊すると共に、「バウハウス叢書」(Bauhausbücher)も刊行した。

アメリカ合衆国やイギリスが持っている原材料がドイツには欠けていたので、彼らはその分熟練労働力が持つ練達さと、革新的で高性能な商品を輸出する能力に頼らなければならなかった。したがってデザイナーが必要になり、そのための芸術教育の新しい形式もまた要請された。バウハウスの理念は、芸術家は産業と共に働いて鍛えられるというものだった。

テオ・ファン・デスブルク(Theo van Doesburg)とその批評の出現は、グロピウスに影響を与えた。彼は当時、ヨハネス・イッテンによって教えられていたもの、すなわち表現主義は、彼の意図していたものではないことを悟った。イッテンは結局学校を去り、後任にはモホイ=ナジ・ラースローが就いた。

バウハウスへのチューリンゲン議会の支援は、社会民主党に由来していたが、1924年2月に、社会民主党は州議会の与党から転落した。文部省は六ヶ月契約でスタッフを置き、助成金を半減させた。彼らはすでに資金調達のための別の拠り所を探していた。彼は1925年3月末をもってヴァイマルのバウハウスを閉校することを発表した。

バウハウスがデッサウに移った後のヴァイマルにも、保守的政治体制に余り対抗的ではない教師やスタッフと共に、工業デザイン学校が残った。この学校は建築・土木工科大学(the Technical University of Architecture and Civil Engineering)として知られたが、1996年にバウハウス大学(Bauhaus University Weimar)と改称した。


デッサウ [編集]
デッサウ時代に、バウハウスは顕著な方向性の転換を図った。エレーヌ・ホフマンによれば、グロピウスは新しい建築プログラムの遂行のために、オランダ人建築家のマルト・スタム(Mart Stam)に接触した。スタムに断られると、ABCグループでのスタムの友人で同僚だったハンネス・マイヤーに切り替えたが、グロピウスはこの決定を悔やむことになる。

カリスマ性を持ったマイヤーは、1928年2月には2代目学長の座におさまり、バウハウスに2つの最重要な建築物の委託を取り付けた。その2つとは、デッサウの5棟の片廊下式集合住宅と、ベルナウの全ドイツ労働組合総連合(ADGB)の連合学校本部棟であり、それらは現存している。マイヤーは、顧客へのプレゼンテーションで計測と計算を好み、コスト削減のために規格品の建築部品を使うことも好んだ。このアプローチは潜在的な顧客をひきつけ、1929年には彼のリーダーシップのもとで、バウハウスは最初の収益を上げた。

しかし、マイヤーは多くの衝突も引き起こした。ラディカルな機能主義者として、彼は審美的なプログラムには我慢がならなかったので、長く指導に当たってきたヘルベルト・バイヤー、マーセル・ブロイアーらに辞職を迫った。口煩い共産主義者としては、彼は共産主義的な学生団体の結成を後押しした。政治的状況が剣呑としたものになるにしたがって、こうした振る舞いはデッサウのバウハウスの存続や関わりのある人々の安全を脅かすものとなった。マイヤー自身が生徒の一人と関係をもった性的なスキャンダルで危うくなったので、グロピウスは1930年に彼を解雇した。

デッサウのバウハウスも1932年に閉鎖されて、ベルリンへと移った。


ベルリン [編集]
ナチもアドルフ・ヒトラー自身も、1930年代に確固たる建築理念をもち合わせていたわけではないが、ヴィルヘルム・フリックやアルフレート・ローゼンバーク(Alfred Rosenberg)といったナチ御用達の書き手たちは、バウハウスに「非ゲルマン的」とのレッテルを貼り、故意に公共の議論を引き起こすためにそのモダニズム様式を批判した。

1930年代初頭に、彼らは徐々にバウハウスを共産主義者や社会自由主義者らの前線として特徴付けていった。確かに、2代目の学長であったマイヤーは共産主義者を自任していたし、彼とその忠実な生徒たちが1930年にソビエト連邦へと亡命したのは事実である。

政治的な圧力の中、バウハウスは1933年4月11日にナチの命令で閉鎖された。この閉鎖についてや、ミース・ファン・デル・ローエの反応などは、エレーヌ・ホフマンの研究に詳しい。

世界遺産に登録されているのは、以下の5件である。IDは世界遺産登録上のもので、英語表記は世界遺産としての登録名(いずれもユネスコ世界遺産センターによる。バウハウス大学が旧称だが、原資料に従った)。


ヴァイマル [編集]
バウハウス大学本部棟(Main building of the Weimar Academy for Architecture and Building Arts - University, ID729-001)- 所在地Weimar, Geschwister-Scholl-Strasse 8
バウハウス大学のヴァン・デ・ヴェルデが手がけた建物(The Van-de-Velde building of the Academy for Architecture and Building Arts -University, ID 729-002)- 所在地Weimar, Geschwister-Scholl-Strasse 7
ハウス・アム・ホルン(The “Haus am Horn”, ID 729-003)
スノー モヘア サイトシス ネグロ ノンフ バルカ バチス ほうじゅん フラー レンズフ ラリア だるま ネコヤ ストリ ステッキ クスノキ サーベル シシウド スタジ レトリック ハイカラ マジッ ローレル シンデレ 交響曲 ブランク ウバイ リアル ブレス ゲイン ガイドヨニ ギアナユ パール ずきん テロップ パイレ ロコ リスボ ジャンク 冬中夏草 女神 ジャンプ亭 ケープ ノーダ オーバー フィアン イカの石 コロラド おみたま おもちゃか

デッサウ [編集]
デッサウ・バウハウス(The Bauhaus, ID 729-004)
親方の家(The Masters’ Houses, ID 729-005)

2009年02月24日

ファイナルファンタジーVII

フィールドはあらかじめレンダリングされたCGイラストレーションの静止画で、その上を3Dのキャラクターが動くスタイルをとっている。映像表現が向上した反面、旧作のスプライトを用いた単純なフィールドに比べて出入り口やプレイヤーの位置、イベントを発生させるためのトリガー(ドアを開けるためのスイッチやレバー、ハシゴ等)が分かりにくいとの指摘があり、『ファイナルファンタジーVII インターナショナル』では画面上に矢印を表示する対策が施された。

戦闘画面やワールドマップはキャラクター、背景共に3Dとなったが、メニュー等基本的な部分は過去の作品を踏襲している。

また、数々の重要な場面ではプリレンダムービーが流れる。ムービーシーンの冒頭をフィールドマップと合わせることでゲーム画面とムービーをスムーズにリンクする手法を取ったシーンもあり、更に一部の場面ではムービー再生中にもキャラクターを動かせる形にしている。また、途中で状況を変更出来ないムービーとシナリオとの矛盾も指摘されている。

まず、シーンによってキャラクタの等身が異なる。プレイヤーが操作できるキャラクターは常時3頭身であり、旧シリーズのドット絵キャラクタを彷彿とさせるモデリングで描かれているが、戦闘時や一部のムービーでは等身大で描写される。シーンによって頭身が異なる仕様は本作のみで、後のシリーズでは各作品によって基本等身は異なるが、ほぼすべてのシーンで均一化されるようになった。
インパ バイオ せみよん センニ おいず ガポット ハムスター メシア キオス ラターシュ カム ヤール サニレレ ハブポート ダッグ ビリボ ヒロイン 草もち モーニング タイム ダイス ジントロン ラブラト パイナ 一番星 ローブプ ミング ブラッセリー ネットカー れっど サインペン トラウマ ルンバ ケナフ スローイン マネジ パプリカ タマスダレ クンシ ラッパー ソウル シャー グズベ プレゼン 元慶 インクリ オーバ バイア キャンデ レワィア

また、3Dモデルに用いられるテクスチャは極めて簡素であり、基本的に描き込まれているのは一部を除いてキャラクタの顔のみである。髪の毛や洋服等はノッペリとした単色のパーツを繋ぎ合わせたような表現手法がとられており、魚やドラゴンのようなモンスターも、ウロコ等が描かれている事は無い「ツルツルとした絵」といった印象が強い。これもまた本作の特徴であり、後の3DのFF作品では顔だけではなく、服や武器、敵キャラクタの身体にも精細に描き込まれたテクスチャが用いられている。

このように、現在で見ると映像面や演出について作りの劣る箇所は多いが、1997年当時、フル3DのRPGは依然あまり多くは無く、製作技術等と照らし合わせれば、ほぼ手探り状態での挑戦で作られており、試行錯誤の末に作られた作品と言えるだろう。

装備品の制度
本作では、装備に関するシステムが旧来シリーズと大きく変わっている。

武器と防具
兜や鎧、盾といった物で全身を着込む形式だった旧来シリーズとは異なり、本作では装備できるアイテムは「武器」と「防具(腕輪)」と「アクセサリ」の3スロットのみである。

その内、「武器」と「防具」には最大8個までの「マテリア穴」という物が開いており、この穴に後述するマテリアと呼ばれる球状のアイテムを装着することにより、戦闘中に使うコマンドが増えたり能力値が変動したりする。マテリアを装備することで備わる能力をアビリティと呼ぶ。穴の数はアイテムの種類により固定で、なにかしらの方法で増やしたり、減ったりするという事は無い。

また、武器によって攻撃可能距離の概念が存在する。例えば接近用の武器の場合、飛んでいる敵や、遠く離れた場所に居る敵に対して攻撃を加えることは出来ない。逆に、ピストルや手裏剣などの遠距離攻撃が可能な武器の大半は、パーティーの後列に並んでいても威力の減退は発生しない(ただし接近用武器と比較して威力は低くなりがちになる)。キャラクタごとに装備できる武器の種類は決められており、剣を装備することになっているキャラクタは剣しか装備できないし、杖を装備する事になっているキャラクタは杖しか装備できない。

ただし、防具とアクセサリに関しては全キャラクタでほぼ完全互換である。例外として、防具のエスコートガードとミネルバブレスはそれぞれ男性のみ、女性のみ装備可能となっている。

マテリアシステム
武具に空けられている穴は単独である場合と2つの穴がつながっている場合がある。2つつながっている穴(連結穴)の場合、通常のマテリアを2つ装着して、それぞれのマテリアから単独に効果を得るほかに、支援マテリアと呼ばれるマテリアと通常のマテリアを組にして装着することで、組にしたマテリアが追加効果を得たり、属性やステータス変化を攻撃や防御に付けることが可能である。一例を以下に挙げる。

「かいふく」(回復)マテリアと「ぜんたいか」(全体化)マテリアをセットにして装備すると回復魔法の「ケアル」等をパーティ全員にかけられる。
「ほのお」(炎)マテリアと「ぞくせい」(属性)マテリアをセットにして防具に装備すると炎属性に対する耐性が得られる(耐性の度合は「ぞくせい」マテリアのレベルによって異なる)。この組み合わせを武器につけると攻撃に炎属性が付加される。
マテリアは敵を倒したときに獲得できるアビリティポイント(Ability Point、略字AP) により成長する。APがマテリアごとに決められた一定値に達するとレベルアップして新しいアビリティを習得でき、レベルがMAXになると同じマテリアがAP0の状態で"ぶんれつ"し、新しく手に入る (作中ではマテリアが「生まれた」と表現されている)。また武器や防具の中にはAPの成長率に変化を与える物がある(武器・防具とも0?2倍、クラウドとシドには3倍の武器が存在する)。

また、マテリアの大きさは本作のイベントシーンではビー玉大に描かれているが、「ファイナルファンタジーVII アドベントチルドレン」以降はテニスボール大に描かれている。

戦闘
シリーズの特徴であるATB(アクティブ・タイム・バトル)は引き継いでいる。また、待ち時間を表すTIMEゲージの他にLIMIT(リミット)ゲージとBARRIER(バリアー)ゲージが存在する。

LIMITゲージは敵の攻撃でダメージを受けると蓄積され、最大まで溜まると、それを消費してキャラクターごとに様々な効果を持つリミット技を使うことができる。リミットはレベル1からレベル4(ケット・シーはレベル2)まであり、レベル4以外はそれぞれのレベルに2つずつ技が存在する(ケット・シーとヴィンセントは各レベルに1つずつ)。各キャラクターは敵を倒した数に応じてリミットレベルの最高値が上昇し(3まで)、ケット・シーとヴィンセントを除く全キャラクターは各レベルのリミット技の使用回数によりそのレベルのもう1つのリミット技を習得する。レベル4の技は究極リミット技と呼ばれ、その習得にはレベル3までの全てのリミット技を習得するだけでなく、特殊なアイテムを入手する必要がある。ゲージの蓄積率は設定したリミットレベルが上がるほど低くなり、溜まりにくい。またリミットレベルはメニュー画面で設定でき、必ずしも高レベルのリミット技を使わなくてはならないわけではない。

リミット技の原型は『ファイナルファンタジーVI』で初登場となったが、LIMITゲージが表示されるようになったのは本作から。リミット技はトランス、オーバードライブ、ウェポンスキル等IX、X、XIでも形を変えて登場している。

BARRIERゲージは魔法「バリア」及び「マバリア」における残り時間を表す物であり、前者は物理防御力、後者は魔法防御力を上げる効果がある(効果がある間は対応する種類のダメージが半減される)。この両魔法は以前からプロテスおよびシェルとして存在しているものであるが、本作ではこの2つにおいて効果の持続時間が表示されている事になる。

ミニゲーム
本作には大量のミニゲームが用意されている。スノーボードゲームや潜水艦ゲームのように本編で強制的に行うことになるものもあるが、大半は「ゴールドソーサー」という、さまざまな遊戯施設が揃った一大レジャースポットで好きな時に遊ぶことが可能。

以下はミニゲーム一覧。括弧内は遊ぶことのできる場所を示している。

コンドルフォート戦闘(コンドルフォート)
リアルタイム・シミュレーションバトル。全部で7段階のレベルが用意されているが、全てクリアすると最終的には遊べなくなる。
アームレスリング メガずもう(ゴールドソーサー)
ひたすらボタンを連打する腕相撲ゲーム。「すもう」と「レスラー」の2段階を選択することができる。
バスケットゲーム(ゴールドソーサー)
フリースロー。一定時間ボタンを押してから放すとシュートを放つ。このボタンを押す時間はかなり微妙だが、慣れれば短時間でポイントを稼げる。
闘技場(ゴールドソーサー)
勝ち抜き方式の戦闘。実際に戦闘を行なうが、1人のキャラクターでしか挑むことができない。最高8連戦、各戦闘の間にハンデキャップのためのスロットが出現する。
3Dバトラー(ゴールドソーサー)
格闘ゲーム。上段・中段・下段の三種類の攻撃によるジャンケンのようなもの。難易度はかなり高い。
モグ・はうす(ゴールドソーサー)
心温まるストーリーを見つつ、モグに効率よく実を与えるゲーム。
チョコボレース(ゴールドソーサー)
6頭立てのレースで1位と2位を予想する競馬によく似たゲーム。チョコボを飼っている場合は自分が出場することも可能。
ワンダーキャッチャー(ゴールドソーサー)
クレーンゲーム。
潜水艦ゲーム(ジュノン地下(1度きり)、ゴールドソーサー)
潜水艦を操縦し、魚雷を撃ち、敵潜水艦を撃沈するゲーム。
シューティングコースター(ゴールドソーサー)
コースターに乗って、次々と出現するターゲットをレーザーで撃破していくシューティングゲーム。
Gバイク(ミッドガル・ハイウェイ(1度きり)、ゴールドソーサー)
バイクを運転しながら剣で斬り付けたり体当たりをして敵バイクを攻撃し、味方の車を守るゲーム。撃墜した敵バイクの数と味方の車の残りHPでポイントが評価される。
スノーボードゲーム(アイシクルロッジ、ゴールドソーサー)
コース各所に並ぶ風船を通過しながらスノーボードで滑り降りるゲーム。コースを完走した時のタイムと、獲得した風船の数でポイントが評価される。スノーボードのスラローム競技とフリースタイル競技を足したようなゲーム。北米では「Final Fantasy VII Snowboarding」の名称で、携帯電話用アプリゲームとしてリメイクされている。
なお、このアプリゲームは、日本でも2008年11月10日よりiモード用サイト「ファイナルファンタジーモバイル」にて配信されている。

チョコボの育成
シリーズで初めて導入された要素。ワールドマップでモンスターと一緒に現れる野生チョコボを捕まえ、エサ(野菜)を与えて能力を強化しつつレースに出場させたり、繁殖して特殊能力を持つ子供を産ませる事が出来る。

カップリングで産まれる特殊チョコボは、ワールドマップの通常入れない地域を移動できる能力を持つ。マテリアの中には特殊チョコボを使わないと入手不可能な物が存在する。

ファイナルファンタジーVII インターナショナル
300万本突破記念として発売されたマイナーチェンジ版。内容としてはアメリカ版で追加された部分を逆移植で追加したという形となっている。

本編の主な変更点は以下の通り。

追加イベント、追加ムービーを収録。
新しいマテリアと武器が追加された(厳密にはデータ上にだけ存在していたものが入手可能になった)。
エンカウント率が下がった。
「てきのわざ」の一部の魔法が弱体化した。
ウェポンとのバトルが追加された。
強制的に戦うことになる「ダイヤウェポン」、戦闘は任意の「ルビーウェポン」「エメラルドウェポン」が登場。
フィールドが見にくいという声に応える形で、出入り口などにマークを付ける機能を追加。
メニューのマテリア付け替え画面に「クイック」機能が付いた。その他マテリアの整頓により装着しやすくなった。
オリジナル版のセーブデータを引き継ぐことが可能(逆は不可)。
敵モンスター「マジックポット」を攻撃だけで倒すことが不可能になった(エリクサーを与えない限りダメージを与えられない)。
ただし、インターナショナル版ではあるマテリアの処理にバグが存在し、アイテムを不正に増殖させてしまうことができるため、これを利用すればそれほど大きな影響はない。なおそのマテリアには、オリジナル版では使っていないにも関わらずアイテムの数が減るバグもあったが、これはそのまま引き継がれている。
このほか微調整や一部のバグの修正が施されている(ただし、後述する「エアリスを表面上死なせずに最終決戦まで連れて行く裏技」はインターナショナル版でも可能である)。

また付録CD-ROM「ファイナルファンタジーVIIパーフェクトガイド」では、各地のマップなどの情報を見たり、開発中のスクリーンショットやイメージイラストなどを鑑賞したりすることができる。

2009年02月08日

自由貿易協定

自由貿易協定(じゆうぼうえききょうてい、Free Trade Agreement/FTA)とは、物品の関税、その他の制限的な通商規則、サービス貿易等の障壁など、通商上の障壁を取り除く自由貿易地域の結成を目的とした、2国間以上の国際協定である。

地域経済統合の形態の中では、緩やかなものとされている。2国間協定が多いが、NAFTA(北米自由貿易協定)等の多国間協定もある。
パッチ ジベタリ ダゴン ライト スタウト 天福 クロム サマリア リポータ 東海道 バック ストイシ メディシ バレンシ みずほ セラピー シビリテ チレン ノニオン いかほ フォルム なんごう ガロール スパン あの海 マフラ めむろ ナゲット マスカ ボール パート スノー ピーケ パーセル ドオド レインボー マガジン ギャグ チェアマン 海岸通り 千年の時 シャド 白うり ティクス バトラ コボル ユーカラ キンバリー デラウ しじゅう

またFTAには自由貿易地域 (Free Trade Area) として、自由貿易協定を結んだ地域を指す場合がある。 国際的には自由貿易協定(Free Trade Agreement)によって設定される自由貿易地域(Free trade Area, FTA)に略語を当てることが多く、日本では、自由貿易協定(Free Trade Agreement)にFTAの略語を当てることが多い。

GATT(関税と貿易に関する一般協定)第24条
GATS(サービス貿易に関する一般協定)第5条
2002年6月末時点で、130以上のスキーム(計画)がGATT/WTOに通報されている。この他に、途上国間のFTAには、WTOの「授権条項(enabling clause、1979年GATT決定)」に基づいたものがある。これは、先進国が途上国に対し、他よりも低率な関税を適用することを認め、途上国間の自由貿易協定締結を容易にすることを認めるものであり、GATT第24条の厳格な要件は適用されない。ただ単に通商上の障壁を取り除くだけでなく、両経済領域での連携強化・協力の促進等をも含めたものは、経済連携協定 (EPA) と呼ばれている。

東・東南アジア地域におけるFTA締結の動き
東・東南アジア地域では授権条項に基づくバンコク協定などを除き、FTA締結の動きは遅れた。ASEAN諸国は、ASEAN自由貿易地域 (AFTA) を1992年に締結し、段階的な貿易自由化を行い始めた。ASEAN域内での関税や非関税障壁 (NTB) の引き下げを行い、貿易の自由化、それに伴う経済の活性化、発展を目的とするものである。しかし、東アジア諸国がFTA締結に取組始めるのは、1990年代末以降である。また、中国や台湾はそれぞれ、2001年、2002年までWTOにも加盟しておらず、WTO加盟国とのFTA締結はできない状況にあった。

この地域において、FTAに最も積極的なのは、シンガポールである。AFTAにおいても、提唱国のタイと並ぶ推進者であった。AFTAだけではなく、域外国とのFTA締結にも熱心であり、2000年11月にニュージーランドとの間でニュージーランド・シンガポール経済連携緊密化協定に調印した。その後、日本、EFTA(2002年)、オーストラリア、アメリカ(2003年)、ヨルダン(2004年)、インド、太平洋4カ国(チリ、ニュージーランド、ブルネイ)FTA、韓国、パナマ、カタール(2005年)などとの間で締結済みである。

今日の東アジア経済統合において、ASEANは事実上中核的な位置を占めている。中国や日本、のちに韓国はASEAN諸国全体とのFTA(ASEAN+1FTA)をそれぞれ締結し、それをまとめたものをASEAN+3FTAとして事実上の東アジアFTAを構築するのが既定路線になっている。2002年に日本の小泉首相がASEAN+5構想を提唱し、オーストラリアやニュージーランドも含むべきだと主張したが、これもASEANを中心とする枠組み構築に沿ったものであった。オーストラリア、ニュージーランドはすでにANZCERを締結し、このCERとAFTAの間のFTA構想も交渉が行われている。

また、ASEANでは広域FTAの中核となるだけではなく、域内経済統合の深化を模索する動きもある。2003年に、第9回ASEAN首脳会議はASEAN経済共同体と他2分野における共同体の創設を目指す「第二ASEAN共和宣言(バリ・コンコード II)」を採択した[1]。ただし、このASEAN経済共同体はFTA+αとして議論されており、ヨーロッパにおける経済共同体 (EEC) やEC市場統合などと比較できるレベルのものではない。

メリットとデメリット
自由貿易協定には、経済的利益のみならず、政治的利益が期待される。

経済的メリットとしては、自由貿易の促進拡大により、スケールメリットや、協定国間における投資拡大の効果も期待される[1]。また、地域間における競争促進によって、国内経済の活性化や、地域全体における効率的な産業の再配置が行われ、生産性向上のメリットも期待される。

政治的メリットとしては、協定国間の地域紛争や政治的軋轢の軽減や、地域間の信頼関係の熟成が期待され、また貿易上の問題点や労働力問題なども、各国が個々に対応するよりも協定地域間全体として対応をすることができる。

一方でデメリットも憂慮される。協定推進の立場の国や人々は、地域間における生産や開発の自由競争や合理化を前提にしていることが多く、自国に立地の優位性がない場合、相手国に産業や生産拠点が移転する可能性がある。このため、国内で競争力があまり強くない産業や生産品目が打撃を受けたり[2]、国内消費者が求める生産品の品質にも影響を及ぼす可能性が存在する。また、日本人の国産品に対する指向や、日本人独特の一定レベルの製品品質を求める傾向、外国製品に対する先入観などから、他の自由貿易協定 (FTA) 地域で起きたメリットと同じことが、日本が結ぶ地域間においても起こるとは限らず、むしろ国民が望まない方向へ経済的にも政治的にも進む可能性もある。

日本のFTA戦略
日本は、1999年に韓国と共同研究を皮切りに本格的にFTAを推進する方針に転換した。しかし、韓国とのFTA交渉は遅れ、その間に日本はシンガポールとの間でFTA交渉を迅速に進め、2002年に日本初の地域貿易協定(日本・シンガポール新時代経済連携協定)が発効されるに至った。その後、ASEAN諸国それぞれとの二国間FTA交渉に乗り出し、またメキシコとのFTAも締結した。2007年4月には日豪FTAの交渉が始まる予定であるが、農業・酪農に関する関税が撤廃されれば日本産の農作物や乳製品が圧倒されると予想され、北海道などで反発が相次いでいる。

2009年01月23日

白雪 みぞれ

声 - 釘宮理恵
月音のクラスメイト(ただし1学期は不登校)。12月7日(大雪)生まれの射手座で趣味は日記を付けること。身長156cm、体重45kg、バストは83cm(Cカップ)。アニメでは月音のすぐ前の席で、みぞれが登場するまではその席はちゃんと空席になっていた。萌香は月音の真後ろで、教室内で一番左下の位置。胡夢は萌香の右隣に座っている。上半身は制服を着ておらず(肩の露出したパーカー調の服)、縞模様のニーソックスがトレードマークで、髪の色は薄い紫色。繊細な一面を持つ雪女で、自分を表現することが苦手なため、普段はクールを装い表情をあまり変えない。いつも棒付きキャンディーを咥えているが、このキャンディーは彼女曰く「携帯クーラーのようなもの」らしく、巻末4コマでは一口舐めた猫目先生を凍結させた。本人曰く、手作りとのこと。愛称は特には無いが、月音からは「みぞれちゃん」、萌香からは「みぞれちゃん(原作・アニメ第2期)/白雪さん(アニメ第1期)」、紫・瑠妃からは「みぞれさん(原作・アニメ第2期)/白雪さん(アニメ第1期)」、心愛からは「みぞれさん」、胡夢からは呼び捨て(アニメ第2期では「(怪奇)ストーカー女」とも)で呼ばれている。
不登校中も手元に届けられていた新聞部刊行紙を愛読しており、「陽海学園新聞部の影のファン」を自称する。特に月音が書いた記事が気に入っている。曰く「弱者の視点」による記事に共感を持つとのことで、登校時はいつも月音と一緒にいる萌香に嫉妬心を燃やした。月音に惚れているが、恥ずかしがり屋な性格が災いして面と向かうとのぼせてパニックを起こしてしまうためにストーカー状態の付かず離れずで付き纏っている。過去に「ストーカーした挙句に教師を氷漬けにした」という黒い噂もあったが、実際にはセクハラを受けたためであることが明かされる。
セクハラ教師の一件が解決した後は月音との距離を縮めているが、恥かしがり屋な性格は相変わらずで、柱の陰や扉の隙間から見つめる日々が続いている。周囲を凍らせるだけでなく、氷のオブジェを作ったり、雪を降らせることが出来る(アニメでは、袖から氷の矢を発射するシーンもあった)。また、両手を大型の刃物に(鉤爪や刀など)変化させることも出来る。実質的には新聞部部員同然だったが、原作の第2部6話で正式に新聞部に入部した。
成績は胡夢と同レベルだが意外に文才があり、第2部では新聞部刊行紙上で連載小説を執筆している。また、小説版では彼女の書いたブログ小説はファンサイトが作られるほどの人気があった。
アニメでは第1期第7話から登場したが、みぞれの作った氷人形が彼女の心の声を口にするなど、原作以上に寂しさの描写が強調された。第2期9話では舞台が故郷ということもあり、スキーウェア揃いのメンバーで唯一ミニスカの着物姿や、スノーボードが得意な面を見せた。
コンセプトは「パンクと和風と引きこもり」。人気投票では萌香&胡夢の2強を押さえ見事1位を獲得した。
森丘 銀影(もりおか ぎんえい)
声 - 関智一
着崩した制服と赤いヘアバンドがトレードマークの、月音達の所属する新聞部の唯一の先輩にして部長。7月8日(ナンパの日)生まれの蟹座で趣味は写真撮影(特に人物)。アニメでは第6話から登場。愛称は「ギン」で、月音達からは「ギン先輩」、猫目先生からは「ギンくん」と呼ばれている。他の新聞部員は、男子には月音の場合に「青野」と「月音」を併用しているように、姓名を使い分けて呼んでいる。女性陣は全て名前の下に「ちゃん」付けで呼ぶ(萌香に対してのみ名前の下に「さん」付けで呼んでいる)。
身長182cm、体重68kgで、見た目もそれなりに良いが、下心剥き出しの軽いウェアウルフで関西弁を話す上に、覗きなどセコい罪を人に擦り付ける特技を持ち、悪さをしても咎められることが無い。萌香を自分のものにするために邪魔者となる月音を罠にハメようとしたが、ホームズに変装した胡夢と金田一に変装した紫にバレてしまい、結局は失敗に終わり女子達に嫌われる羽目になる。
しかし、実際は仲間思いの好青年。みぞれの無実を自ら撮影した写真で証明したり(もっとも女子生徒の盗撮もバレてしまい、胡夢や紫に袋叩きに遭ったが)、仲間のために体を張るなど、登場当初とは打って変わって話が進むごとに兄貴的ポジションになっている。月音達が入学する前年には、学内の不正に義憤を燃やして公安委員会の悪事を暴こうと九曜と対立した末に新聞部は廃部寸前に追い込まれ(この当時は銀影以外にも複数の新聞部員がいた模様)、存続の代償として公安委員会に関して触れることをタブーにすると言う苦渋の選択を強いられたこともあり、ただ軽いだけの男ではない。
獣化すると、身体能力が上がって超高速での戦いが可能となり、九曜には瞬速の大妖と呼ばれる「速(スピード)の大妖」を自称する。獣人ゆえの不死性と高速を生かした戦闘スタイルは侮れず、特に高速に関しては封印解放時の萌香以上を誇り、胡夢とみぞれに闘い方を教えたのも銀影である(ただし、その教え方はセクハラまがい)。しかし、満月が雲で陰っただけで能力が半減するなど、妖としては不安定な面も。学業の成績は良好ではない模様。
部活の先輩ながら、登場頻度は巻を重ねるごとに減少しており、コミックス巻末によれば読者アンケートに出番を期待する葉書が来ているらしい。しかし、送り主は銀影自身であったため、最終的に紫によって燃やされた。
season IIでは、第2部第8話で重要キャラクターとして久々に登場したが、下心は相変わらずのようで、月音達が「めったに来ない」と言うなど、実質的には新聞部はほぼ引退状態のようである。しかし、その人気[2]を反映してか、アニメでは登場頻度が高く、最初から登場しており、その時は新入生の盗撮をしていた(しかし、偶然居合わせた同じ新入生の心愛にバレて蹴り飛ばされてしまった)。盗撮の際、担当声優ネタを披露している。
橙条 瑠妃(とうじょう るび)
声 - 千葉紗子
カラスを使った魔術が得意な魔女の一族の少女。髪の毛は真っ黒。身長165cm、体重47kg、バストは89cmのDカップ。原作では第1部第13話、アニメでは第1期第9話で初登場。幼い頃、夜の都会に出かけていた際、大好きだった両親を理不尽な交通事故で亡くした後、お館様に引き取られて育った。それ以来、「人間」が両親を奪ったと考えるようになり、全ての「人間」と「人間の文明」を憎むようになったが、次第に人間を滅ぼそうとするお館様の計画に疑問を抱くようになる。敵対していた月音達には心を開くようになり、事件の終了と共にかつての純粋な願いを思い出すことが出来た。その後、事件の怪我が治ると月音のために学園で働くことになり、仕事の一環として彼らと共に戦うようになる。理事長の「仕事に私情は挟まない」という方針のため、なかなか月音に会えずにいたが、第2部第6話で理事長の許可を得て、「入部」形式ながらも新聞部の顧問補佐に就任する。なお、原作第2部5話ではドMであったことが発覚している。』[3]
アニメでは、後述のお館様が登場時には既に死んでおり、お館様の死を受け入れられずに暴走してしまう設定となっている。そのため、お館様が原作で使った魔法も瑠妃が使用しており、月音の正体を最初から見抜いていた人物でもある。最終話にて再登場するが、その理由は不明。また、陽海学園の生徒なのか、仕事で働いているのかどうかも不明(ただし、事務員のような描写がある)。第2期では、色々あって理事長の元で学園の手伝い(購買部の店員、参観日の案内役など)をしている。
種族が同じ魔女ということもあり、紫とは初めて会った時から仲が良い。大人びた外見だが、初登場時に自分と一緒に戦うことを承諾した紫に抱きついて頬ずりするなど、子供っぽい一面もある。なお、設定では月音にもらって初めて飲んだオレンジジュースが好物とされている。第2部第7話では幼児化した心愛に『Dr.スランプ』の則巻アラレのコスプレをさせるなど、ツワモノな一面も持ち合わせている模様。アニメ第2期では妄想癖があるような描写も見せており、きっかけとなるキーワード「色々あって」のセリフを取られると非常に落ち込む。また、第2話では銀影とのタッグで暴れ回る心愛を止めに入ろうとしたと思いきや、グラビア撮影に繰り出すなどのシーンもあった。第8話の台詞によれば風紀委員長を務めており、規律には非常に厳しい。
主なヒロイン達の中で、彼女だけは学園の生徒ではない。コミックス第8巻のおまけ4コマより、生年月日は不明だが、年齢は17歳くらいで血液型はA型だと判明した(この際、第8巻まで明らかにされていなかった名字も明らかとなった)。また、生徒ではないが、メインの一人という扱いゆえ、彼女の名前にも「色」(「橙」=オレンジ)が含まれている。月音達からは年上ゆえ、名前の下に「さん」付けで呼ばれている。
作者曰く、描くのが一番大変なキャラクター。コンセプトは「ゴスロリマゾっ子魔女」。
ちなみに、彼女の所持している魔具は、第1部では杖であったが、season IIでは本(魔術書)に変わっている。また、アニメでの2つ目の魔具は、理事長が与えたらしく原作ではお館様の遺品であるような描写がされている。人気投票では出番は少ないが4位ランクインしていた。
朱染 心愛(しゅぜん ここあ)
声 - 斎藤千和
season IIから登場。萌香の異母妹で、4姉妹の末っ子。11月3日(みかんの日)生まれの蠍座で趣味は入浴(薔薇のハーブ湯)。髪の毛はオレンジ色で、身長149cm、体重40kg、バストは74cm。粘着質な性格の持ち主で、武器化能力を持つバケバケコウモリのこーちゃんをペットにしている。モカとは違い、ロザリオで力を封印していない(胸もあまり大きくはない)。覚醒状態の萌香=「裏モカ」限定のシスコン。愛称は「(カタカナ表記で)ココア」で、月音達からは「ちゃん」付けで、紫からは「さん」付けで呼ばれている(紫は学年は上だが飛び級をしているので、実年齢は心愛より下なため)。萌香は実姉なので「ココア」と呼び捨て。登場当初バンパイアであるゆえにプライドが高く、緩い空気の新聞部を毛嫌いしていたが、次第に丸め込まれ、第2部第7話ラストで入部した。それ以降、萌香以外の新聞部員は基本的に名前の下に「さん」付け(紫に対してのみ名前の下に「ちゃん」付け)で呼んでいる。
あっさぶ スロン カーリー デブー ナックス デブリ タング バケツ スメア マンドリル シュテム アーム リッド ピエロ 南瓜 プラス シャンピ スタン ピッツァ いゆふぇく ライブラリー タジア ダンガ モック タイム クシン モッズ トリック ピンマイク 黒太陽 スナンサ ザニア パロール セージラ オーセン モービル ニシキギ ガスケット スラック ストック ジャガー リベンジ デカップ スペア キドニー ヤソウェ 上海慕情 イニシ きほく モラルレ

アニメでは第2期から登場。原作とはキャラクター設定が異なり、一貫して月音達とは敵対関係にあった(故に新聞部にも入部していない)。萌香を狙ってこーちゃんと共に策を巡らすが、常に失敗に終わる。課外授業などで萌香達が学園を離れる時には、あらゆる場所(高速道路、線路、雪山など)を自転車で走って追跡し、周囲を驚かせている。アニメの最終回でリリスの鏡の一件の責任を問われ、父親に尻をたたかれる。人気投票結果は5位。

2009年01月16日

西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)

モンブラ こまひ レイク モミジ プルライフ 月の海峡 しおじ コメン フォール ショートケー ティーホル メーカー オートメ わかた ビーフ イザヤ ロストル フリース エイグ ススキ ヒーロー チフス シーズ レード サルト マンパ サイトむい パクチー せりか ゲート ちこり メナム ション ストッキン オフス イソップ シュボド マップ ノンフ スツール ハイパー ドミノ タシケ コダチア プレス バウンス スーパー リコリス ハラム ウチク

西求女塚古墳(にしもとめづかこふん)は、兵庫県神戸市灘区にある全長98mの大型前方後方墳、副室付竪穴式石槨、割竹形木棺。

築造年代は3世紀後半と推定されている。国の史跡に指定されている。

万葉集や大和物語などに登場する悲恋伝説の舞台(西求女塚古墳・処女塚・東求女塚)であり、近年は邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から贈られたといわれる三角縁神獣鏡が7面出土(1993年)したことで知られる。また石室の石材は徳島県や和歌山県他、各地の材質からでき、地元の土器は無く山陰系土器が共に出土されたことから古墳時代に大和王権のもと山陰など含め支配していた豪族の墓とされる。

1964年に邸宅だった土地から市の公園となり現在、遺跡公園「求女塚西公園」として整備されている。

主な出土品
三角縁神獣鏡 7面
画文帯神獣鏡 2面
神人龍虎画像鏡 1面
半肉彫獣帯鏡 2面
鉄製品 230点
碧玉紡錘車形石製品 1点
土師器 14点
織物残欠 2点
土師器残欠 179点
石室石材 54点
以上は2005年に一括して国の重要文化財に指定されている。 尚 伝出土品として画文帯環状乳神獣鏡 一面が知られる